私の絵画道

【第3話】「つくし」の由来

 よく生徒から「アトリエ・つくし」の由来を聞かれますので、この機会にお話したいと思います。
 私は当時、和歌山の地元ではとても有名であった雑賀紀光氏の絵画教室に15年間在籍しておりました。実はその教室の子供の会が「つくし会」で、大人の会には「三紀会」と名づけられていたようでした。しかし、先生の名前が会の名前より有名で、氏名で呼ばれていた為にほとんど知る人が無かったですね。 当時の月謝袋の領収印が「つくし会」だったので私も不思議に思っていたくらいです。
先生のおっしゃるにはツクシは、すくすく伸びるので子供達もすくすく実力が伸びるようにと名付けたそうです。
 先生が教室を引退された後に私達が教室を開く時、お願いして「保田つくし会絵画教室」となりました。最初は私一人で内職のつもりでおりましたが後に、本格的に主人と2人で経営することになり、場所を借りて5箇所にも広げました。冬野にアトリエを持てるようになったちょうどその頃、フランスに古典絵画を学んだ技法を広げようと、自宅からアトリエに移転する際、名前も新たに「アトリエ・つくし」と改名したのです。
 当時、作品製作意欲が盛んで、若かったのでしょうか?夫婦展は年間5回にも達したこともありましたが、しかしなぜか「つくし」の名前の方が知られているらしく、皮肉にも生徒からは「先生の名前、何ていうの?」とか、ひどくなると「つくし みゆき?」ってマジで聞かれ、苦笑してしまいました。喜んでいいのか悲しんで良いのか複雑な気分!!
 私達はヤスダですよ。ヤスダ!せめて生徒さん、覚えてくださいね〜・・(ひそかな願い)

第4話につづく
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アトリエ・つくし