<保田三友紀のエッセイ>

「絵のきびしさ」
 平成3年5月8日 ニュース和歌山新聞掲載

 主婦でいながら絵の仕事を続けられる幸せ者の姿を見て、誰も苦労してきたなどとは想像もつかないだろうと思います。
21歳で長男に嫁ぎ、家業を手伝いながら、内職として絵を教え始めましたが、零細企業の不安から同じ苦労をするなら二人で好きな仕事を苦労しようと、親の反対を押し切って二人とも絵描きになってしまった。食べていけると言い切ったからには、親のすねはかじれない。子どもを抱えての必死の生徒確保から私達の苦労は始まった。自宅では昼間は教室、夜は寝室にかわり、資金があった訳でもなく、赤ちゃんを寝かせてから夜中に二人でガリ版の広告刷りにかかる。主人は昼間仕事を終えると一軒一軒それを配って歩く。プライドを捨ててスーパーの前で私達は手渡しもしたが反応はゼロ。次は折込広告にしたが、たった一日の朝刊に3ヶ月間3時間の睡眠の成果もむなしく、1、2件の電話で終わる。ショックは大きかった。だがチラシで効果があるものなら商売人はみんな苦労はないだろうなと甘さを痛感。それでも懲りずになんども繰り返す。いつかきっと報われると信じて「これが最後」と挑戦した日、二十数人の入会者に私達は感激で泣きながら喜びあった。やがて、こつこつ貯めた財産で渡仏。古典画技法を学び教え方も改善していったせいか、紹介者も多くなり生活も安定。今でも余裕とまではいかないがお陰で暮せている。ある日の夕暮れのこと、スーパーの前でお坊さんが托鉢をしていた。小さな籠にほんのわずかな小銭しか入っておらず、長い間立っていたのか時計を見て引き上げる様子だった。私は以前自分たちも立っていたときのことがスッと頭をよぎり、わずかながら百円玉を入れた。と同時に「ありがとうございます」と大声でいって私に向かって般若心経を唱えだしました。それに気づいた人たちが次々と硬貨や札を入れ、見る見る籠はお布施でいっぱいになっていった。繁華街にいつまでも響きわたる般若心経の声を聞きながら自分の事の様に胸が熱くなってしまいました。
 苦労は昔から買ってでもすべきだといわれますが、私達が描く時間も場所も与えられ何の苦労もなくこられたとしたら、小さな喜びも知れず、一生いい絵も書けないまま終わってしまったように思います。まだ苦労も足りず絵も甘いが、せっぱ詰まった時のやる気と厳しさの中からいい絵が生まれるものではないかと私は思います。